●ロードレース参戦開始!クラスはSP250。
   1年目は予選落ちばかり・・・目標は予選通過。
   予定としてはチャンピオンだったんだけどね!(苦笑)
   ま、カッコ良く走れるようになったから楽しかったね!友達も増えたし。

 ●最終戦に予選通過。
 決勝はマシントラブル。

  ●2年目は1年目の遅れを取り戻すべく、計画は東北地方戦の好成績。参戦クラスも最速のGP250
  開幕戦は走り慣れてないマシン&コースにもかかわらず、予選通過&決勝11位でポイントも獲得できた。
  今年はやれる!と自信を持てたレースでした。 

 ●ホームコースの開幕戦2位の好成績発進の次の仙台のレースで
 予選6位(ヤマハ勢トップ)スタートだったけど、スタート失敗したうえ
 他車の転倒に巻き込まれてリタイヤ。そのうえ背骨の圧迫骨折の
 負傷をしたので3ヶ月は欠場となり、僕の2年目の計画はなくなりました。

 ●そうはいってもプロになれないわけじゃないと後半戦の巻き返しを誓った
 復帰第1戦目で、リハビリ状態のなかでポールポジションを獲得!
 決勝はまたまたスタート大失敗でほとんど最後尾まで落ちました。
 しかしここからドラマは始まった!1周目に10台のごぼう抜き、その後は
 1周2,3台をかわして8周くらいでトップグループに追いついた。
 しかし勢いはとまらず1周1台かわしついにトップへ!その後もペースは
 落ちることなく後続に8秒差をつけて初優勝!!!自分の順位がわから
 なかった(サインボードを見る余裕がなかった)から優勝したのはピットへ
 戻ってから知ったわけだけど、怪我して不安だった分、ものすごくうれしくて
 泣いちゃいました(笑)

 ●しかし、良いことのあとには落とし穴があるように、翌週の仙台のレースで再び他車と接触して転倒。
  今度は外傷性くも膜下出血で入院・・・さすがに復帰はできないと誰もが思ったけど、
  当の本人は諦めなかったから1か月で復帰!ホームコースの最終戦に出場。
  予選はまたまたポールポジション!しかし決勝は2周目の1コーナーで転倒リタイヤ。
  スタートの少しの出遅れで順位を落としただけなのに焦ってしまった・・・優勝を狙っていただけに
  悔しかったのを覚えてる。 
  ●3年目は昨年の成績により国内A級ライセンスに昇格。
  しかし資金難と型落ちのマシンでは東日本選手権では満足した
  成績は得られず・・・。
  そんな中、得意のホームコースの大会では予選2位、決勝2位。
  トップのすぐ後ろまで追い上げたのに抜けず、自分の勝負強さの
  不足を感じたレースだった。                 

  ●4年目はマシンを新型にして参戦することができた・・・がマシンとの相性が合わず、
  セッティングを変更したり乗り方を変えたりしたが成績は振るわず、シーズン終盤に
  予選中に転倒。左手骨折によりシーズンを終える。手は思ってたより重症で、完治までに
  約半年かかってしまうとの診断により翌シーズンはないことが決まった。
  そんな精神的に厳しいとき、友人達が飲み会をしてくれて励ましてくれた。
  レース以外のことも大切だと気づくことができた。
 
  ●5年目は唯一兄とコンビを組んで耐久レースに出場した。
  耐久レースにはスタッフがいつも以上に必要だが、応援してくれてる友人達が
  協力してくれたので実現することができた。今でも感謝している。
  成績は8位。目標の1桁は達成することができた。

  ●6年目はライセンス区分変更により国内B級ライセンス。
  そこで心機一転、参戦クラスをGP125にスイッチ!
  サーキットも激戦区の筑波に変更。
  ここで予選も通過できないようならレースを辞めると
  決意してのシーズン。開幕戦は予選突破!決勝も
  ポイントは獲得できなかったけどラップタイムが良かったので
  とりあえず満足。今年はやれると自信を取り戻すことができた。
                                              

  ●しかし、その後はテスト走行ではタイムが出るが本番では思うようにはいかず、
  上位進出は果たせなかった。

  ●7年目も引き続き参戦を続けたが資金不足のため満足した走りができず、活動休止を決めた。
  それはモチベーションが落ちたわけでも、力の限界を感じたからでもなかった。
  ただきちんとした体制を作って、おもいきり走りたかった。
  ただ自分の限界に挑戦したいという想いが僕の行動を決めた。

  そして・・・自分を信じて新しい挑戦が始まった。                                            


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